高田賢三さんのこと(20201123)

10月にファッションデザイナーの高田賢三さんが旅立たれた。なんと、コロナで亡くなってしまった。とても残念なことだ。

ケンゾーと言えば、パリにおいてファッションで大成功を収めた最初の日本人だろう。日本人ファッションデザイナーの先達。1965年にパリに渡り、1970年には独立して自分の店を構え、日本人として初めてパリでファッション・ショーを開催・・・・KENZOは瞬く間にパリから世界のブランドへと成長した。70年代から80年代前半くらいが最も輝いていた時期ではないかと思う。

今のように情報がたくさんない時代だったが、雑誌で見るKENZOは素敵だった。印象的だったのはフォークロア(民族調)やビッグシルエット、体にフィットしないゆったりしたシルエットが斬新だった。柄×柄の重ね着、花柄など綺麗で見ていてとても幸せな気持ちになる。パリでは「色の魔術師」「木綿の詩人」などと絶賛されていた。ショーの最後に花柄の服を着たモデルたちに囲まれている様子は、花束に囲まれているよう。いつもニコニコ笑顔なのも印象的だった。

憧れのブランドではあったが、もちろん手が出るはずもなくライセンス物のマフラーを持っていたくらい(泣)

その後、ブランドは巨大になっていきビジネスも大きくなったようだが、一方80年代後半から90年代頃になるとファッションはボディコンシャスな物が出てきたり、様変わりしていく。この時期、賢三さんは内心かなり焦ったそうである。賢三さんはクリエーションには長けていたが、経営など数字は得意ではなく、ビジネス面は人に任せていたようだが、結果それが買収されたり自己破産などにつながっていく。決して順風満帆というわけではなく、山あり谷ありの人生だった。

どんな状況でも常に前向きでニコニコ明るい印象の賢三さん。「夢の回想録」という自伝が出ています。今年、新たな事業展開も始めたところだったそうで・・まさかこのような展開になるとはご本人が一番驚いているのかもしれません。まだまだ活躍していただきたかったです。ご冥福をお祈りいたします。